蔵書でたどる100年前の龍谷大学

  本学は、今からおよそ380 年前の寛永16 年(1639)に創設された西本願寺の学寮を始まりとしています。その後、学林、大教校、仏教大学など名称を変え、その時々の学制に対応し今日の龍谷大学に至っています。

 では、現在の龍谷大学の名称になったのは、いつのことなのかご存じでしょうか。実は、今からちょうど100 年前の大正11 年(1922)に、前身である仏教大学の名称から龍谷大学へと名称を改め、大学令による大学となったのです。
 ちょうど100 年前の龍谷大学について、どのような様子だったか、図書館の蔵書からたどってみたいと思います。
 まず、当時の大学の風景等を記録したものとして、当時のものが残っていませんが、最も近いものとして大正13 年の卒業アルバムがあります。全景写真を見ると現在とあまり変わらない雰囲気ですが、本館の前にはシュロか蘇鉄と思われる木々が植えられています。龍谷大学となった大正11 年当時も同じような風景ではなかったかと思われます。

大正13年龍谷大学全景写真[龍谷大学卒業記念写真帖(会定傳神)]

大正13 年本館写真[ 龍谷大学卒業記念写真帖(会定傳神)]

 名称が龍谷大学になったことについては、学術雑誌『龍谷大学論叢』(現在の『龍谷大学論集』の前身)第244 号(大正11 年6 月発行)の「学会彙報」の欄に記事があります。それによれば、大正7 年の大学令の発布にともない、学制の更改などの準備を進め、大正9 年9 月に大学令による大学設立認可の申請書を提出し、大正11 年の5 月20 日に認可指令が発せられ、翌21 日の降誕会には祝賀会が催されたことが記されています。また、学生数が627 名、教員数が101 名であったことや、図書数が総冊数176,940 冊であることなどが記されています。現在の本学の規模と比べるとかなり小さく感じるかもしれませんが、記事には、単科大学として名実共に完備したとあり、充実感に満ちていたことがうかがえます。

『龍谷大学論叢』244 号彙報(一部分拡大)

 その他、大学の出版事業として、学術雑誌『龍谷大学論叢』をはじめ、学術雑誌『宗教と芸術』、龍谷大学通信講義などが出版されていたことが記されていますが、当時の出版物の一部は現在でも図書館(大宮図書館)の書架に排架されています。

『宗教と芸術』

龍谷大学通信講義テキスト『浄土三部経要旨』

・掲載資料一覧
[ 龍谷大学卒業記念写真帖(会定傳神)]  龍谷大学卒業記念写真帖編集委員会編
大正13 年(1924)発行 請求記号000.1/56/2 大宮図書館所蔵
『龍谷大学論叢』 龍谷大学論叢社編 龍谷大学論叢社発行 請求記号052/38 052/366 024.3/1571 大宮図書館所蔵
『宗教と芸術』 龍谷大学文芸部編 宗教と芸術社発行 請求記号058/7 大宮図書館所蔵
『浄土三部経要旨』 鈴木法琛著 大正11 年(1922)龍谷大学出版部発行 請求記号121.1/10
121.1/11 121.1/12 大宮図書館所蔵