龍谷大学図書館ウェブマガジン
2023(令和5)年3月発行
対話と古典
龍谷大学図書館長 竹内 真彦
コロナ禍も去ったのでしょうか? . . . . . . まったく確信が持てません。この「確信が持てない」という点こそが、このコロナ禍の厄介さを象徴しているのでしょう。ただ、ようやく「普通に行動しても問題ないかな?」くらいにはなったと信じたいところです。
この春から、図書館も幾つか「普通」に戻す点があります。大きなものとして、「ナレッジスクエア」の本格的な再開があります(深草図書館と瀬田図書館は地下1階、大宮図書館は2階に設置しています)。図書館と言えば「静かにしなければならないところ」というイメージがあるかも知れませんが、ナレッジスクエアは利用者が主体的に「調べ、考え、書き、作る」過程で必要となる「対話」を行うことを前提にした空間です。
古来、対話は人間のインスピレーションを喚起し、新たなアイディアを生み出す行為でした。東西の古典でも対話形式で著された書物は数多くあります。西洋古典としてはギリシアのプラトン(前427-前347)の『ソクラテスの辯明』、東洋古典としては孔子(前552?-前479)と弟子との対話を多く収めた『論語』が代表として挙げられるでしょう。また、仏典の「相応部(サンユッタ・ニカーヤ)」も対話によって構成された書物だと言えます。
『論語』為政第二に、次のような孔子の語があります。
「子曰。由。誨女知之乎。知之為知之。不知為不知。是知也」
(子曰く、由や、女(なんぢ)にこれを知るを誨(をし)へんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為す。これ知るなり。)
「由」は孔子の弟子。しばしば子路と称される人物です。その子路に対し、孔子が「知る」とは何か? ということを説いています。すなわち、自分が知っていることは知っていると認識し、知らないことは知らないと認識する。それが「知る」ということなのだ、と孔子は言います。
奇しくも、『ソクラテスの辯明』では、ソクラテスがほとんど同じことを言っています(無知の知)。そして、孔子とソクラテスはともに対話を重視していました。このことは、対話が「知」を生み出すことを象徴的に物語っているように思えます。
まだマスク越しに. . . . . . となってしまうかも知れませんが、大学生活の中で対話を重ねてください。そして、図書館のナレッジスクエアが皆さんにとって重要な対話の場となれば幸いです。
中高生図書委員等交流会(学生スタッフ参画)
2023年2月10日(金)滋賀県教育委員会主催の「中高生図書委員等交流会」がオンラインで開かれ、瀬田図書館のライブラリーアドバイザーとライブラリーサポーター計4名の学生スタッフが司会進行役(ファシリテーター)として参加しました。
中学生・高校生の読書離れ対策の一環として企画された催しで、滋賀県内の中学校10校(35人)・高等学校5校(25人)、また立命館大学生4名、滋賀文教短期大学生4名も司会進行役として参加。中高生10名と大学生2名の6グループに分け進められました。テーマは、①「本を読まない人に読書の楽しさってどうやったら伝えられる?」、②「行ってみたくなる学校図書館ってどんな図書館?」の2つ。中高生から活発に発言があるグループもあれば、消極的なグループも…。司会の学生スタッフは中高生から意見やアイディアを巧みに引き出し、場を盛り上げ、取りまとめることに苦心したことでしょう。ファシリテーションの難しさや奥深さを実感できた貴重な経験は、学生スタッフにとって成長の糧になったことと思います。